映像撮影・照明・音声収録・編集・ナレーションを担当しました。
十六地蔵物語は、徳島県美馬郡つるぎ町で実際におきた出来事を基に創作されたお話です。
1944年、大阪の南恩加島から小学三年生の男児29人が空襲を逃れて疎開してきました。この疎開という事自体が、子どもたちの意思で行われていることでは有りませんでした。また、子どもたちの安全を願うことばかりではなく、そこには大人同士の複雑な思惑もありました。
疎開の宿泊地となったお寺での生活。地元の小学校の子どもたち、先生や寮母さんとの生活という、新しい環境に戸惑う子どもたち。小学三年生の年頃で、親兄弟と離れ、親族と離れ、見知らぬ環境で過ごすというのは精神的な負荷が大きいものです。いまの日本なら、同年代と共に遠く離れた地に行くとしたら、修学旅行やクラブの練習合宿などであり、帰る日が決まっている、帰る場所がある、ということで、生存本能に関わる部分に安心材料があるので耐えられるやもしれません。一方、当時の状況では、「いつ帰れるかわからない」「帰る場所があるかわからない」「家族が生きているかもわからない」という、私たちには体験することが極めて難しい、過酷な状況下に合ったと推察されます。
1945年、宿泊地のお寺で火事があり逃げ送れた16人の子どもたちが亡くなってしまいました。実は、疎開してきた子どもたちのなかには、中国や朝鮮半島にルーツを持つ子どもたちも居ました。当時の戦時下の日本では、そうした隣国の人々も同じ日本に生きる人として共に生きていた事実があります。寮母さんもまた、朝鮮半島にルーツを持つ方でした。
1946年、亡くなった16人の子どもたちの例を慰めるために、お寺の境内に地蔵が建立されました。それ以降、毎年供養会が行われている他、大阪の南恩加島小学校と地元の貞光小学校は、毎年修学旅行の時期にお互いに交流をしています。
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